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[旅行コラムその2]京の夏、六道珍皇寺はご存じ?

六道珍皇寺

京の夏と言えば、思い浮かぶのは祇園祭と五山送り火です。

祇園祭は7月1日から始まり、31日に終わる、1ヶ月もあるお祭りです。その中で特に14日から16日までの宵山、17日の山鉾巡行が観光客も楽しめるとあって、街は大賑わいとなります。この祇園祭、京都の中心部と八坂神社がメインです。歴史は平安時代869年、京に疫病が流行した際に当時の国の数66国の数字から66本の鉾を立てて、祇園の神を迎え祈ったことが始まりだと言われています。

この祇園祭が終わると、京都は夏の静けさとなり、今度は先祖をお迎えする準備に入ります。
そのクライマックスが五山送り火です。送り火という名前からして、迎えるのがあるのではと思った方はその通り、正解です。
このお迎えに深く関わっているのが、六道さんと呼ばれている、六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)です。平安時代、京の人々は亡骸を鳥辺山(とりべやま)へ送りました。ちょうどこの六道珍皇寺は街と鳥辺山、つまり冥土との境界とされていました。それが六道の辻、ちょうどこの寺の門前辺りだとされていました。ここから先に行くとこの世には戻れないとされていたのです。

さて、六道とは生前の所行により死後行かなければいけない場所で「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天上(天道)」の六つです。これを決定するのは閻魔大王で、閻魔大王は地蔵菩薩の化身とも言われ、冥界で生前の行いを判断し、六道を決めるのです。閻魔大王が決める際に、小野篁(おののたかむら)が閻魔大王に助言をしたとされています。この小野篁が閻魔大王に助言をするため、冥界へ行かなければいけませんが、その際に利用したのがこの六道珍皇寺の奥にある井戸だと言われています。井戸には入口の井戸(冥土通いの井戸)と出口の井戸(黄泉がえりの井戸)があり、出口の井戸は最近まで寺の所有地では無かったのですが、現在は土地所有者の計らいで寺の所有地となり、その出口の井戸からは今も水が湧き出ています。小野篁はこの入口の井戸から入り、冥界に行き、閻魔大王に生前のことを話したとされています。篁は特に人の善の部分を話したとされ、篁の助言を聞き、、閻魔大王は情に深いため判断を変えたともされています。

この冥土に続く井戸ですが、井戸に入るときに飛び上がらなければ入れませんが、その飛び上がったときの姿が寺の手前の部分に小野篁像として安置されています。また閻魔大王像も同じく安置されています。

また、六道珍皇寺には地獄絵があります。六道を説明するのに使用したとされる「熊野勧心十界図(くまのかんじんじっかいず)」ですがこの地獄絵図は今では3種類みることができます。

話を戻しましょう。この六道珍皇寺はもう一つ珍しいものがあります。それが「迎え鐘」です。鐘は奥に撞いて鳴らしますが、ここの鐘は手前に引いて鳴らします。これがこちらに迎えるということで、ご先祖様を迎えるために鳴らす鐘とされ、この鐘の音は冥土へも届くと言われています。ご先祖様を迎えるのが、盂蘭盆会(うらぼんえ)である8月7日から10日です。この期間は京都の人々が次々にこの寺を訪れ、ご先祖様をこの世に迎え入れる準備をするのです。

そのあと、それぞれでお盆を迎え、お盆期間の最後に再びご先祖様をお送りするために、五山送り火となるのです。

ごく最近では、アニメで森見登美彦さん作の「有頂天家族」に六道珍皇寺の井戸なども出て来るようです。

こんなお話を頭に入れて、京のお盆を過ごすのも良いですね。

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