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Hotel Story

ホテル・旅館バーのひととき[ホテルマジャパヒスラバヤ](12話)

ホテルマジャパヒスラバヤのMAJ

12.「ビンタンドラフトビール、スラバヤスリング(カクテル)」 ホテルマジャパヒスラバヤ MAJ(ホテルマジャパヒトスラバヤ)Bintang draft beer & Surabaya sling by MAJ at Hotel Majapahit Surabaya

 この時期は雨期だと聞いていたが、空港を降りると晴れ渡っていた。

 インドネシアは世界でも人口がアメリカに次いで多く第4位だそうだ。国土も日本に似ていて東西に長く、島の数は多い。この空港はバリ島に近いインドネシアの中央に位置するスラバヤ。この地に僕が以前から行きたかったホテルがある。
 スラバヤは今では日本の企業も多く、駐在員も結構な数がいると聞くが、人口が多い割りには交通網は全く無く、ほとんどが車での移動になる。これが結構旅行者には面倒だ。タクシーは一昔前のバンコクのタクシーのようで、評判は良くないのでストレスになる。この洗礼を受けた後、ホテルに到着すると、ようやく気持ちが落ち着く、そんな街だった。
 今回のホテルはホテルマジャパヒスラバヤ、かのラッフルズホテルで有名なサーキーズ兄弟が開業したホテルの1つ。ホテル内の部屋にある冊子では、当初オランジェホテル(Oranje Hotel)としてルーカスマーティンサーキーズにより1911年7月1日に開業したということだ。第二次世界大戦中には日本軍がこのホテルをヤマトホテルとして使用し、その後1969年に新しいオーナーにより現在の名前「ホテルマジャパヒスラバヤ」となった。日本の旅行ガイドやウェブには「ホテルマジャパヒトスラバヤ」と称されることが多いが、ここでは現地の方の発音で「ホテルマジャパヒスラバヤ」として記述したいと思う。サーキーズ兄弟の開業したホテルは東南アジアに4つ、ここ「ホテルマジャパヒスラバヤ」、シンガポールの「ラッフルズホテル」、マレーシアペナン島の「イースタン&オリエンタルホテル」、ミャンマーヤンゴンの「ザ・ストランドホテル」だ。

 僕は渋滞のスラバヤの街を抜け、約1時間近くかかってタクシーを降り、ホテルマジャパヒスラバヤのエントランスに到着した。簡素な感じのエントランスは親しみを感じる。ドアマンがエントランスのドアを開けてくれる。この時間帯はスタッフが少ないようだった。入って左手にあるフロントに行き、チェックインを告げた。チェックインで立って待っている間に、ウエルカムドリンクが運ばれてきた。フレーバーティーの少し甘く冷たいドリンクだった。部屋は1階の手前の建物にあるスイートだった。ロビーは大きくないものの、ゆったりしたソファが配置されていて、ふかふかの絨毯とロビー上にあるシャンデリアが印象的だ。
 感じの良いホテルのベルスタッフの男性は小さい体なのに荷物を軽々と持ち、部屋まで案内してくれた。ホテル内はコロニアル調で壁などは真っ白に塗られている。回廊の一部を歩き、途中サーキーズ兄弟のことが記された部屋を通った。部屋に着くと、彼は鍵の開け方を説明し、中に入って一通りの説明をしてくれた。最後にエアコンの温度は大丈夫かと聞いてくれたので、結構寒い温度だったが、到着したばかりの僕は暑かったので、大丈夫だよと言った。彼は寒くないのか?というような顔をしてたが、すぐににこっとして部屋を出ようとした。僕は彼にチップの紙幣を渡し「Thank you」といって見送った。

 予備知識が少なかったので、このホテルのメインのバーがどこなのか、ホテル内がどうなっているのかは全くわからなかったが、部屋にはホテルの施設の地図があり、それでだいたいの場所が把握できた。おそらくメインバーは「MAJ」という場所だった。どう読むのかがわからなかったが、夜はここにしよう。
 部屋は結構暗かった。コロニアル調だから明るいと思ったら、部屋の奥がバスルームになっていることと、そこに窓が無く大きな洗面台があるので、光が入らない構造で部屋の入口の横にある窓が唯一の明かり取りになっている。僕は明るい部屋が好きなのだが、ここは仕方が無い、ゆっくり休憩するものとして、あとはプールサイドなどでのんびりすることにした。ホテルは敷地が広く、回廊があることでここがコロニアルホテルなんだという気持ちにさせてくれる。回廊の中庭はとにかく緑一色でこの緑と空の青と、建物の白のコントラストを見るだけでもここに来て良かったと思わせてくれる。

 さて、スラバヤの夜は長い。まだ明るい内にバーはオープンし、いつものように僕はバーのオープンに合わせて店内に入ることにした。店はまだ準備がされていないくらい状態で、僕が入ると客がすでに1人、入口に近いカウンター席に陣取っていた。スタッフは少なくとも4人くらいがバーカウンターの近くにいた。彼らはバーにあるテレビ画面の映画を見ていた。なんとものんびりした雰囲気だ。でも悪くは無い。
 僕はバーのカウンターの一番奥から2番目の席に座った。バーの名前は「MAJ」、HERITAGE Pub & Dineとなっている。なかなか大胆なネーミングだなと思いながら、僕はメニューを見ていた。いつものようにメニューをくまなくみたあと、バーの中も見ていた。僕が座ったカウンターの後ろはテーブル席で右手奥にはビリヤード台があり、左手にはステージがあった。今日もここで演奏が始まるらしい。
 そこまでバー内を見ていてふと思った。そうだ、マニラホテルのタップバーに造りが似ている。カウンターの配置などはとても似ていることに気付いた。入って席に着いたときに、ちょっとデジャブ的な感覚だったのはそのせいかもしれないと思った。
 僕がメニューやバー内を見ている間、女性のスタッフ達はみな映画に釘付けだ。先に来ていた女性客は40代前半くらいで、誰かを待っているようで、コーヒーを飲んで、バーテンダーと話をしていた。僕は再度メニューを手に取ると、生ビールの欄をみた。インドネシアで有名なビール、ビンタンとハイネケンの生ビールがメニューにあった。僕は会話が途切れたバーテンダーに向かって言った。
「Excuse me, Can I order?」
「Yes sir.」
バーテンダーはすぐに気付いて、僕の席にやってきた。
「Bintang draft.」
シンプルに名前を告げると、彼はにこっとして頷いた。一連の動作で、手慣れたバーテンダーだとすぐにわかった。彼はすぐに冷蔵庫からグラスを取り出すと、奥にあるビアサーバからビンタンドラフトを注いだ。冷えたビールが運ばれてきそうだ。
 客は僕と先の女性だけなので、出てくるのは早い。彼はすぐに僕の席にグラスを持ってきてくれた。
 コースターを置いて、さっとビアグラスを置いてくれた。僕は冷えたビールをすぐに一口飲んだ。いつも思うのだが現地で飲むビールは現地のビールが一番美味しい。これは僕だけの意見では無く、ビール好きの友人も決まって同じことを言うのだからたぶんそうなのだろうと思う。ここでも同じく、ビンタンの生ビールはとても美味しかった。一口飲んでいる間に、バーテンダーは深い皿にいっぱいのピーナツを置いてくれた。そういえば、午前中にジャカルタからスラバヤに来てそのままタクシーでホテルに直行したので、今日は朝食後何も食べていなかった。さっそく持ってきてくれたピーナツを手ですくって食べてみた。これがなんともいえない美味だった。ピーナツはローストしてあった。久しぶりにこんな美味しいピーナツを食べた気がした。それで僕は空腹が一気に目覚めてしまい、またメニューを見始めた。フードメニューも美味しそうなものが多かった。看板の店の名前の下に書かれた「Dine」は伊達では無いようだ。バーに来るとなぜかサラダが食べたくなる僕はバーテンダーにお勧めを聞いてみた。
「What is the recommended salad?」
何種類かある中で彼は、
「Beef salad.」
とメニューのサラダの写真を軽く指さした。
「OK. Please this salad.」
僕はもう一つオーダーした。
「And I want to order this potato.」
ポテトにチーズを載せてソースをかけたベークドポテトだ。写真がとても美味しそうで空腹にはぴったりだと思った。
「It’s good, too.」
彼は言って厨房にオーダーしてくれた。

 僕はまたメニューを見始めた。たぶんバーテンダーから見ると、僕はずっとメニューを見ているように見えていると思う。それくらい僕はいつもホテルのバーではメニューを隅から隅まで見てしまう。1人で飲むときの癖のようなものかも知れないし、このバーに来たからには一番をチョイスしたいという気持ちがそうさせるのかも知れない。今回もじっと眺めていると、あることに気付いた。シンガポールスリングがメニューにある。しかも日本で良く出されるレシピの薄いピンク色では無い、ラッフルズオリジナルの赤い色が際立つレシピが書かれている。と、そこの欄には「スラバヤスリング」というカクテルもあった。
 なるほど、ラッフルズホテルのシンガポールスリングに、ホテルマジャパヒのスラバヤスリングか、そう思うとなんだか楽しくなった。残念ながらメニューにスラバヤスリングのレシピが書いていない。緑色のカクテルだった。

 いろいろと頭にカクテルの由来などが思い浮かびながら、時間が経った。フード類が運ばれてきた。ビーフサラダもポテトもかなりの量だった。これで十分に空腹は満たされそうだ。ビーフサラダは大きめの皿に盛られている。ポテトも写真よりも大きいくらいで良い具合にチーズが溶けていた。おすすめの2つのメニューはそれぞれとても美味しく、ビンタンドラフトにはぴったりの料理だった。
「Very Good!」
僕はバーテンダーにそう言った。彼は「エナ」と言った。「美味しい」をインドネシア語では「Enak(エナ)」と言うんだよ、と教えてくれた。僕もそれに習って、
「Enak」
と言った。彼は親指を立ててにこっと笑った。

 ビールも食事もほどよく済んだ頃にはもう結構な時間が経っていた。いつの間にか女性客の横には男性がひとり座り、ステージにはあっという間に演者が現れ、演奏開始という時間だった。準備も整い、演奏が始まった。
 最初の曲はイパネマの娘だった。
 ボーカルの女性がほどよい感じで歌い上げていた。こんな定番を演奏するならもう少し長居できそうだなと思って、僕は先ほどオーダーしようと思ったスラバヤスリングを頼むことにした。そして、彼にスラバヤスリングのレシピを聞いた。
「What’s the recipe of Surabaya sling?」
彼はボトルを持ってきてレシピを教えてくれた。それによると、スラバヤスリングは次のようなレシピだそうだ。

スラバヤスリングレシピ
・Gin 50ml
・Rum 30ml
・Midori 30ml
・Pineapple juice 60ml
・Lime juice 5ml

たぶんオーダーする客が多いのだろう、彼は手際よくさっとジンとラム、ミドリのボトルを持ってきて、冷やしたジュースを準備し、大きめのシェーカーですぐにつくってくれた。メニューの写真の通り、薄いグリーンのカクテルだ。リキュールのミドリが入っているから緑色なのだが、このミドリは日本でつくられたメロンフレーバーのリキュールだ。今ではオランダでもメロンリキュールは作られているのだけれど、日本考案のリキュールがこのスラバヤスリングに使われているのはおもしろい。

 そのスラバヤスリングが出来上がり、目の前に置かれた。一口飲んでみると、これがなかなかパンチが効いている。アルコール度数が高い。ラッフルズのシンガポールスリングは飲んでみると甘いのが先にくるので、甘ったるいと感じるのだけれど、このスラバヤスリングはジンとラムが多いせいか、ショートカクテル並みにアルコールが高い。でも、のどごしが良いのでするっと入っていく。これはさっと飲んでしまうとすぐに酔いが回りそうだ。

 カクテルを楽しんでいると、演奏が一区切りしたようだった。ふと僕がステージ側をみると、ベースの演奏者1人と目が合った。リクエストは無いかと聞いている。ただ、客はまだ僕と最初から一緒の女性客、それにあとから来たその女性客の連れの男性だけだ。イパネマの娘を演奏しているのだからスタンダードは大丈夫かなと思って、僕は好きな曲「Fly me to the moon」をリクエストした。彼らはすぐにこたえてくれた。少し間をおいて演奏が始まった。いつもの軽快なリズムで「Fly me to the moon」が歌われる。やっぱりいつ聴いてもこの曲はいい。
 直訳した題名は「私を月まで連れてって」なのだが、題名もロマンティックだけど歌詞はもっとロマンティックだ。フランク・シナトラが歌ったものが有名になったが、その歌詞は最初の部分が歌われていないのだけれど、僕は最初の前置きの歌詞が可愛らしいと思っている。この部分を歌っているのはネットでも少なく、Nat King ColeやShirley Basseyバージョンで聴くことが出来る。でも、僕が知ったのは竹宮惠子さんのコミック「私を月まで連れてって!」のサウンドトラック盤だ。いずれにしてもスタンダードは色々なところで出てくる。この歌を聴くといまだにフレキシブル家のドタバタが思い浮かんでしまう。

 そんな想いを抱きながら、僕は曲に聴き入っていた。

 スラバヤスリングがほろ酔いを加速させたようだ。そろそろ部屋に戻ろう。
 ありがとう、バンドさん。

 次はどこのホテルのバーにお邪魔しようか。
 それともどこの旅館のバーにしようか。

*ホテルのビールとカクテル
・ビンタンドラフト
・スラバヤスリング(ジン30ml、ラム30ml、ミドリ30ml、パイナップルジュース60ml、ライムジュース5ml)

**文章は全て創作であり、登場人物は実在の人物とは関係ありません。

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