Hotel Story

ホテルバーのひととき

ホテル・旅館バーのひととき[東京ステーションホテル](11話)

東京ステーションホテル、Camellia

11.「フレッシュフルーツモヒート(スペアミント&パッションフルーツ)」 東京ステーションホテル Camellia(カメリア、東京ステーションホテル)
Fresh fruit Mojito(Spearmint & Passion fruit) by Camellia at Tokyo Station Hotel

 東京駅、東京に住んでいてもこの駅を降りて外に出ることは少ない。会社がここにあるなら別だが、そうでないと僕も含めて東京駅にはあまり来ないと思う。ただ、今回は目的があった。
 東京ステーションホテルだ。このホテルは日本の中で歴史あるホテルの1つだろう。東京駅開業が1914年、その翌年の1915年にホテルは開業し、2006年に東京駅丸の内駅舎保存、復元工事のため旧館となり、2012年に再開業した。
 その東京ステーションホテル、バーは2つあり、1つはオーセンティックなバーで名バーテンダーが腕を振るう「Bar Oak(バーオーク)」、もう1つは東京ステーションホテルが戦後営業再開した際に始まった「Camellia(カメリア)」。カメリアは椿のことだ。このバーのロゴには椿の花がデザインされている。
 今日はこのCamelliaに行くことになっている。いつも1人でバーに行く僕だが、今日は珍しく1人ではない。夜遅めの時間に待ち合わせをしている。こちらを選択したのは禁煙だからだ。Bar Oakは喫煙可だった。

 それにしても東京の夏はいつからこんなに暑くなったのか。連日昼間は35度をこえていた。外に出るとちょうど気温の一番高い時間帯で、湿り気のあるまとわりつくような熱い空気が顔を撫でるようにさらっていった。そんな夏の日の夕方だった。こういうときは、どこかの冷房の効いた大きな建物の中にいるのが一番だ。
 待ち合わせは最近のだいたいの時間しか決めていなかったのだが、僕はかなり早い時間に東京駅に到着した。週末なのでオフィス街の人たちの姿もない。いつもの癖というか、仕事以外で人と待ち合わせするときは、約束の時間より早くその近辺に着いていることが多い。せっかくの待ち合わせでその場所に行くのだから、近くの店や風景などをゆっくり1人で見てみたいという気持ちが強いのかも知れない。
 ところが今日はいつもよりも早くに着いてしまった。約束の時間までまだ2時間くらいはある。

 僕は東京駅丸の内中央口に出た。正面は左右どちらを見てもビル群が立ちはだかる。近年新しく建て替えられたビルばかりだ。八重洲側は地下街が充実しているせいか観光客がとても多い。でも、丸の内側は比較的静かだ。どちらかというとビジネス客中心なのかも知れない。僕は新しく出来たビルの1つに入った。1階は東京中央郵便局がメインで6階までが飲食店やショップが入っている。ちょっとお洒落な東京土産などもここで買えるので、通には人気らしい。一通り回ると、僕はあることを思いついて、1階のお店に入った。
 店を出ると待ち合わせまでまだあと1時間ほどあった。いつもは持っている文庫本も今日はたまたま持って出るのを忘れていてない。外に出ても暑い。

 仕方がない、僕は先にCamelliaに行って、何かを飲むことにした。とはいえ確信犯だ。Camelliaはすでに営業していることを知っていたからだ。

 東京ステーションホテルは駅舎の中にあるので、外から見る外観のどこにホテル部分があるのかはよくわからない。そして、中に入ろうとすると、これがまた入口がわかりづらい。一度知ってしまうとなんなく入れるのだが、最初は戸惑う人も多いだろう。外から来る場合は丸の内中央口まで来ればそのまま入口を発見できる。東京駅から来る場合は丸の内南口を出ると円形のドームのフロアを一周すれば必ず入口はみつかる。その南口から入ると、少し入った所にエレベーターがある。それに乗って2階に行くとホテルらしいフロアがあらわれる。右手を進むとカメリアが一番手前に見えてくる。Camelliaの奥はパサージュになっていて、その大きな窓からは丸の内のビル群をみることができる。

 Camelliaの入口にはバースタッフが立っている。
ドアを開けてもらった。
僕は中に入り、バー内をさっと見渡した。正面にカウンターが左右に伸び、手前右手から奥にかけてがヨーロッパ中世を思わせるワイン色と焦げ茶色をストライプでデザインしたソファがテーブル席となっている。そのテーブル席は半分近くが埋まっている。みな今入ったばかりのようだった。
でもちょうどバーにはまだ早い時間帯だからなのか、カウンター席は全て空いていた。全部で8席、全てが2席に分けられていて、その間には荷物を置くスペースがある。このカウンターは2人で座るための席だ。僕は少し左手に歩き、迷わずカウンター左から2組目の席、左側に腰掛けた。カウンターテーブルは一枚板では無いが、手前の肘を置く部分が、平面から斜めにすぱっとカットされていて、これがなかなか心地よくおさまる。シートは硬め、テーブル席のソファと同じデザインが使われている。ちょうど左には1組分の席があった。カウンター内にはバーテンダーが1人、ちょうど飲み物を作る合間だったのか、僕をちらとみながらカウンターのボトルを片付けていた。
彼は少し作業を終えたところで、メニューを僕に差し出した。
そして、また少し合間をとって、おしぼりを置いた。

何かを考えながら仕事しているかのような感じがした。とはいえ仕事はしっかりとしている感じだ。
 ホテルの中にあるバーテンダーはどのバーでも独特の雰囲気を漂わせている。ほどよい距離感を保ちながら礼儀はしっかり重んじる。ホテルのバーは特にそうだ。気にしていない風を装いながら、実はしっかり見ている。気取っているようにもみえるのだが、実はそうではないのだ。その雰囲気が初心者をなかなか寄せ付けない感じがするのかも知れない。一度入ってしまえばわかるのだが、その1歩が踏み出せない女性も多い。独特ではあるのだが、何も会話が無くてもそれぞれのバーテンダーの性格が出て来るのはおもしろいものだ。

 この時期のホテルは夏のフェアをしていることが多い。夏はどのホテルのバーでもだいたい、サマーカクテルなどを打ち出し、おすすめとしてメニューに入っている。ここCamelliaも同じで、ちょうどサマーカクテルをメニューに掲載していた。
 サマーカクテルと言えば色々思い浮かぶが、代表的な夏のカクテルといえば、定番なものだと「モヒート」「ピニャ・コラーダ」「フローズンダイキリ」などが代表的になるだろう。夏のアルコールというと日本人はカリブ海のラムベースが思い浮かぶようだ。
 でも、僕が選びたいのはミントのきいたショートカクテル「アラウンド・ザ・ワールド」、シャンパンとオレンジジュースの「ミモザ」、カンパリベースでグレープフルーツジュースとトニックウォーターを入れたロングカクテルの「スプモーニ」をおすすめしたい。「ミントビア」なども夏の炎天下には良いかなと思う。どの夏向きカクテルもビーチやプールサイドで飲むとやっぱり美味しく感じるものだ。色はブルー、グリーン、イエロー、レッドなど涼し気か元気になるような色がいい。
 ちょっと脱線したが、このCamelliaのサマーフェアのカクテルはモヒートだった。モヒートはもともとミントの葉をグラスに入れて砂糖、ライムジュースを入れた後、ミントの葉をつぶしてミントの香りを出し、そこにクラッシュドアイスを入れてソーダで満たすというカクテルだが、日本人はそれではもちろん満足せず、流行りだした頃から、モヒートの新しいバージョンをたくさん出してきていた。もちろん、海外でもモヒートの派生レシピはたくさんあるのだが、日本になるとそのレシピは限り無くある。Camelliaは5種類のモヒートを準備していた。

 メニューを見て楽しんでいると、結構時間が過ぎてしまった。ちょうど一杯飲むには良い時間になってきた。テーブル席は変わらず空いている。あとで再訪するので、カウンター席かテーブル席かどちらにしようかなどと考えていた。空いていたらカウンター席にするのがいつもなのだが、クラシカルな雰囲気と照明の具合が程よいテーブル席もなかなか良さそうだ。
 カウンター内の上を見ると気になるロゴがあった。
「STATION HOTEL」
特長的なレタリングデザインで大きなロゴプレートが1ワードずつ中央のボトルの棚上部にはめ込んである。
あとで聞いてみよう、そう思って、再びメニューを眺めた。

 東京ステーションホテルのバーにはオリジナルカクテルがある。その名も「東京駅(The Tokyo Station)」。名バーテンダー杉本氏の考案したオリジナルカクテルで、タンカレージン、Suze(スーズ)、イチジクの果汁が入っている。2杯は時間的に厳しいなと思った。
夏の今日に来たのだからと、このホテルのサマーフェアのおすすめを選ぶことにした。
パッションフルーツのモヒートだ。モヒートはライムの酸味とミントのフレッシュ感を味わうようなカクテルだが、そこにパッションフルーツの酸味が入ると、美味しいと想像できた。僕はカウンターでグラスを磨いているバーテンダーに声を掛けた。
「すみません、フレッシュフルーツモヒートのスペアミント&パッションフルーツを下さい」

なかなかネーミングが長いその名前はメニューの通りなのだが、口に出すだけでも美味しそうな感じがしてしまうのは、ネーミングの策略か。どうも僕は「フレッシュ」というワードに弱いらしい。
「かしこまりました」

バーテンダーはすぐに準備に取りかかった。サマーフェアのカクテルは良く出るのか、材料は目の前に揃っているようだった。
モヒートは先に記したように、少し手間がかかる。その間にふと、右斜め後ろをみると、そばのテーブル席には30代後半くらいの女性が2人向かい合って座っていた。テーブルには料理とモヒートがそれぞれ置かれていた。モヒートは色からして種類が違うようだった。料理はさきほど運ばれてきたようだ。かなり近いので会話は漏れ聞こえてくる。
「ここ連れてきてくれてありがとう、前から知ってたんだけど、なかなかこれないよね〜」
「私も行く人いなかったし、ちょうど良かった。モヒート好きって言ってたからいいかなと思ってね」
「大好き、ホテルのモヒートってなんか贅沢だよ」
「それにこのモヒートすごく美味しい、飲んだことない味」

2人の女性はとても楽しそうにカクテルと食事を楽しんでいる。
バーテンダーにもその声は聞こえていただろう。
パッションフルーツを片手に持っている彼をふと見ると、ちょっとにっこりしていた。
僕も経験したことがあるが、バーテンダーに直接美味しいという客は多い。カウンター席ならなおさらだ。
できてすぐにカクテルを口に運び、一口飲んだあと美味しいと言われると嬉しいと思う。
テーブル席ではそうはいかない。ゲストの感想を直接は聞かない。
でも、Camelliaのようにテーブル席が近いと、そこにいるゲストの話が聞こえるので、話しかけられなくても、カクテルの美味しさを話している会話が聞こえる。本人達にはそのつもりはないけれど、伝わっている。
男性の場合はそのようなシチュエーションで聞いたほめ言葉も嬉しかったりもする。特に男性の場合は僕も含めてその傾向が強いと思う。特に初めて来た女性客がそんな会話をしているのだから嬉しいんじゃないかな、と僕は思っていた。

 僕たちはテーブル席の会話を聞いて、彼は僕のオーダーしたモヒートに最後のソーダを満たし、僕は彼の手さばきを静かにみていた。
マドラーで軽くグラスの中を混ぜる。
「どうぞ」

彼は出来上がったスペアミント&パッションフルーツのフレッシュフルーツモヒートを僕の前に差し出した。
淡い黄色みがかったそのカクテルは、想像通りのカクテルだった。
「ありがとう」

グラスの側面にきれいにミントが配置されているのをみて、さすがだなと思いながら僕は一口含んでみた。
とても清涼感のある、でも、とてもまとまったモヒートだった。ビーチサイドで楽しむ荒々しいモヒートとはまた違った、ホテルバーならではのしっかりしたモヒートだ。
とはいえ、モヒートには変わりない。甘みを抑えてあるので、料理にも意外と合うだろう。油っこい料理などでもこのカクテルがきれいに洗い流してくれそうだ。
 女性達の会話はまだ続いている。ずっと楽しそうだ。カクテルからホテルの話題まで、そして、リゾートの話など。楽しい会話を聞いているのはこちらも楽しいし、リゾート関係の話題だとホテル好きの僕は嬉しくなる。聞いているとそのまま会話に入っていきたくなってしまうくらいだ。
 まあ、そんな野暮なことはしない。カウンター内のバーテンダーもそれは同じだ。
「こんな日には、ほんとにいいカクテルですね」
「はい」
彼は調子を合わせてくれたようだった。さっき僕が席に着いたときよりも若干、表情が和らいでいるように見える。
ちょっとほっとした。
 バーテンダーはゲストと会話していても、オーダーをこなしたあとの一見何もしない時間も、とにかく頭の中は色々なことがパラレル式に動いているものだ。常に脳はフル回転と言っても良いくらいだろう。忙しい時間帯のバーカウンター内を10分くらいじっと見ているとそれはすぐに理解できる。普通複数でバーに行くとそんなことは考えないが、1人でカウンターに座るとそれが目に入ってくるので、複数のタスクをこなしているのかがわかり、凄いなと普通に感心してしまうものだ。
「モヒート人気ありそうですね」
「サマーフェアでもおすすめしているので、多いですね」

 よく見ると店内のポップにもサマーフェアの紹介がされている。これを見ると飲もうと思っていなくても、頼みたくなるだろうと思った。
 僕はグラスを持って、半分くらいを一気に流し込んだ。豪快に飲むのもモヒートの美味しさを楽しめる。ストローなどを指しているホテルもあるが、やはりモヒートはグラスに口を持っていき、クラッシュドアイスをくちびるで押さえながら、ごくっと飲むのが一番美味しいと思う。上品に仕上げてあっても、それでいいカクテルだ。
 いつの間にか体の中の熱っぽさがひいていた。冷房もしっかり効いているので、涼むには良かった。
そろそろ、待ち合わせ場所に行くくらいの時間か、そう思ったときにメールが来た。あと10分くらいで到着する感じだった。僕は残りのモヒートを飲み干して、チェックをお願いした。
 彼は仕草でチェックですねと僕に示した。
手際よく会計をしてレシートをくれた。
手早く支払いを済ますと僕は彼に言った。

「この上のロゴは素材は何でできているんですか?」
僕はさっき気になったことを聞いてみた。
「真鍮です」「以前からあるもので、改築時にまたここに入れたそうです」
「そうだったんですね」
彼はそう説明してくれた。それにしてはとても新しいレタリングに見える。このアルファベット全てのデザインが知りたくなった。

そんなことを考えて、僕は出ようとしたが、ふと思い返した。肝心なことを忘れるところだった。
「あとでまたすぐに来ます。2人で」
「わかりました。たぶん大丈夫だと思います」

彼はすぐに察してくれたようで、頬に笑みを浮かべてそう言った。カウンター席はまだ空いているだろうという意味だ。たぶん、僕の東京駅での行動も理解してくれたのかな、と思った。席に着いたときの緊張した表情は今は無かった。これからまだ忙しくなるのだろうが、今日一番のタスク処理が終わったのだろう。
僕も彼のことを理解して、Camelliaを出た。ドアを持ってくれたスタッフにもまたすぐに戻ってきますね、と声を掛けて、僕は階下に降りていった。

 次はどこのホテルのバーにお邪魔しようか。
 それともどこの旅館のバーにしようか。

*ホテルのビールとカクテル
・フレッシュフルーツモヒート(スペアミント&パッションフルーツ)

**文章は全て創作であり、登場人物は実在の人物とは関係ありません。

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