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Hotel Story

ホテル・旅館バーのひととき[マニラホテル](6話)

マニラホテルタップバー

6.「セルベッサネグラ(ボトルビール)、チェンバーリン(カクテル)」 マニラホテル タップルームバー(マニラホテル)
Cerveza Negra & Chamberlain by Tap Room Bar at Manila Hotel

 僕にはどうしても行きたいホテルがいくつもある。その中の1つがマニラホテルだった。近代的な設備を整えたホテルも好きだが、歴史あるホテルも好きだ。単に古いホテルという意味ではない、「歴史あるホテル」というところが大事だ。歴史あるホテルは、そのホテルの創業者、歴代の経営者、その時のスタッフ達、そして多くのゲストによって作り出された美術館であり、その趣は世界のどの歴史あるホテルにも共通していることだと思う。
僕はその空間そのものが好きなのだ。
 そのマニラホテルのロビーのソファの1つに僕は座っている。そう、ようやくやって来たのだ。このクラシカルなホテルに。
フィリピンのマニラというと、どのガイドブックを読んでも、政府関係のウェブを見ても治安が悪いと書いてあり、日本の旅行代理店も旅客の安全確保が困難という理由で、マニラのツアーは出さなくなったくらいだ。そのためなかなか足が向かなかったのだった。でも、今回ふと思い立ってこのホテルを選んだのだった。もちろん治安が悪いのは知っていたので、今回はホテルの送迎を直接頼んでいた。
 フィリピンマニラの空港は「ニノイ・アキノ国際空港」といい、この空港に降り立った時点で緊張感が走る。特に僕のように1人で荷物を抱えている旅行者は要注意だったが、マニラホテルのスタッフを見つけると、なんなく、スタッフの車に乗車し、ホテルまで直行した。ホテルの玄関は空港のようにセキュリティチェックがある。それも通り抜けると、ようやくロビーでチェックインだ。
 僕はチェックイン後のウェルカムドリンクをソファで飲んでいた。
 マニラホテルのロビーは豪華だ。フロントの前には大きな絵画がいくつも飾られていて、天上からは優雅で大きな年代物のシャンデリアが下がっている。この空間にいるだけでもこのホテルの歴史をたくさん感じることが出来る。そんな思いを馳せながら、運ばれてきたマンゴージュースをごくっと飲み干し、荷物を持って奥のエレベーターホールに行った。今回の部屋は16階の一番奥の部屋だった。重厚なエレベーターに乗り、誰もいない静かな長い絨毯敷きの通路を歩くと、ようやく部屋に着いた。荷物を置き、僕は少し部屋で休息を取ることにした。バータイムはもう少し暗くなってからでもいいだろう。

 水を飲んで、ふと思い立ち、僕はホテルの部屋にある館内ガイドを見ることにした。フィリピンに来るまでは時間の余裕が無く、ホテル内のバーなどを調べていなかったからだ。もちろんバーはあると思っていたが、どんなバーかは気になった。見ると、バーと呼べる場所は2つ。1つはプールにあるバー、そしてもう1つは夜になると生演奏も入るバーのようだった。選択肢は後者しか無いだろう。名前は「タップルームバー」。名前からしてサーバからの生ビールが飲めるのだろう。アジア地域では管理上の問題や衛生面で生ビールを飲むことが出来ない場所が多いので、ちょっと楽しみだった。

 ガイドやルームサービスのメニューなどを眺めて、しばらく時間がたつと部屋の外が少し赤くなっていた。夕焼けがカーテンの隙間から見えている。部屋からはちょうど夕景が見える位置だった。そろそろバーに行ってみるかと思い、僕は仕度を始めた。ホテル内なのでカメラだけを持って行くことにした。
部屋を出ると相変わらず、通路は静かで誰もいなかった。ホテルにはたくさんのゲストがいるはずなのに、このようなホテルではよくこういうことがある。それが良さだが、ときどきホテルには僕ひとりしかいないのではないか?という錯覚に落ちることもある。そんな風に思うのは、すでに僕はホテルの雰囲気に飲み込まれているのかも知れない。それならそれでどっぷり浸かりたいものだ。
エレベーターを降りると、数段の階段を降り、迷わず右手のタップバーに向かった、まだ夕食には早い時間だが、すでにバー内には先客が2組、カウンターは誰もいなかったので、迷わずカウンターの端に座った。
 バー内は、静かなのだが、ロビーからはすぐでドアも開いているので、ロビーのにぎやかさがこちらにも漏れてくる。バーは入って左手にライブを行うスペースがあった。バーに入る手前にあったボードによると、ここでほぼ毎晩ライブがあるらしい。奥はテーブル席がたくさん、カウンターはL字型で座れるのは8席程度だ。
バーテンダーをみると、この時間なのにかなり忙しい雰囲気が伝わってくる。色々なカクテルやドリンク類を作っている合間におしぼりとメニューをもらった。通常この時間はバーテンダーはそれほど忙しくないはずなのだが、今日は特別らしい。

 僕はメニューをみて、生ビールを探した。
が、見当たらない。
そんなはずがないと、もう一度くまなくメニューを見たのだが、やはり無い。
タップバーじゃ無いのか?ふと頭によぎったが、あきらめきれず、バーテンダーに聞くことにした。しかし彼は入ったときから忙しく動いている。
ようやく、彼の手が空く時を見計らい、僕はドラフトビールは無いかを聞いた。
「I’d like a draft beer.」
そういうと、彼はちょっと困った顔を浮かべて、こう言った。
「Sorry, We don’t have draft beer, only bottled beers.」
かなり残念な答えが返ってきた。
ちょっと、気持ちが萎えてしまったのだが、仕方が無い、もう一度メニューを見始めた。
彼は申し訳なさそうに、僕のそばを離れた。
ボトルドビアのメニュー欄を見ると、フィリピンではお決まりのサンミゲルビールがあった。しかし、すでにこの地に来て何本か飲んでいる。他のものが飲みたいと再度メニューを眺めると、あった。「セルベッサネグラ」聞いたことが無い。これにすることにした。あとから知ったのだが、このセルベッサネグラもサンミゲル社が出しているらしい。
僕は先ほどのバーテンダーにこのビールをオーダーした。
彼はすぐにボトルを冷蔵庫から出し、手際よく栓を開けると、冷えたタンブラーグラスと一緒にボトルを置いてくれた。
ボトルはかなり冷えている。暑いマニラならではの冷やし方なのだろう。
僕はグラスにセルベッサネグラをゆっくり注ぎ、泡がおさまるのを待って、注ぎ足した。
口に含むと冷たさと苦さが真っ先に感じられる。
美味しい。
ボトルでもなかなかいける。
そのままグラスを半分くらい空けると、ビールのつまみにフライドポテトもオーダーした。
あとはゆっくり飲もう。たぶん、今のオーダーはこの忙しさだとしばらく来ないだろう。
そんなことを思いながら、僕はしばらく1人でカウンターに座っていた。
テーブル席はいつの間にか結構埋まってきていた。カウンターには変わらず人はいなかったが、僕がビールを半分くらい飲んだ頃、1人の男性が僕の席を1つ開けて、横に座った。位置的にはL字型のカウンターテーブルの一番端、入口から一番近い席だ。
バーテンダーは今はいない。男性は急ぐふうでもなく、手ぶらでカウンターに座っていた。
見たところどうも、ホテル客ではないように思った。他の客がドレスアップしているのに、この男性はそんな感じでは無く、勝手知った感じであったからだ。それにしても、このバーでは少し浮いた感じだった。つまりは招かざる客といった風情だ。
初老で背中を丸めてカウンターに座っている。すぐそばの僕を見ることも無く、男性はじっと座っている。
不思議な客も来るんだな。
そんなことを思って、僕は残りのビールを少しずつ喉に運んでいた。
このままではフライドポテトが来る前にもう1本頼むことになりそうだ。

少しのんびり飲んで、酔いも回る頃に、ようやくバーテンダーがフライドポテトを持ってきてくれた。みるとかなり量が多い。日本のバーで頼むよりも3倍くらいありそうなくらいだ。これは全部食べると、1食分になりそうだった。
そんなことを考えていると、先ほどの男性がバーテンダーにオーダーをしていた。
聞き取りづらかったが、「Water・・・」とだけ聞こえた。
何かのアルコールとチェイサーを頼んだのだろう。
そう思って、僕ももう1本同じビールをオーダーした。
ビールにフライドポテトはなぜこんなに美味しいのか。やはり塩味がほどよく効いているのが良いのかもしれない。
日本のアンケート調査ではビールのつまみに合うのは、という問いで、1番は大抵枝豆だそうだ。しかも2位を大きく離しての1番らしい。そして、2番がやきとり、唐揚げでフライドポテトはちょっと下の順位らしい。
フィリピンでは何がつまみで1番なのだろうか?そんなつまらないことを考えて、1人飲んでいると、バーテンダーがタンブラーグラスに氷を入れて、ミネラルウォーターを注ぎ、横の彼の前に出した。
どうやら、彼は水だけを頼んだらしい。
どうも不思議な客だ。
僕はどんな客なのか俄然興味が出てしまった。しかし、彼は1人で飲みたいらしい。そんな雰囲気があった。
まあ、いい。
気になったが、僕は大量のフライドポテトと格闘し、ビールを飲むことにした。

バー内はにぎやかになってきた。あちこちで話声が聞こえてくるが、騒々しいほどでは無い。むしろバーでは心地よいくらいの響きだった。
こんなバーもいいものだな、と僕は思っていた。
ようやくポテトも少なくなり、ビールも2本目が無くなる頃、目の前に置いてある、ホテルのおすすめのカクテルを頼むことにした。
実は僕はあらかじめこのホテルのオリジナルのカクテル「チェンバーリン」のレシピを調べていた。
調べるとかなり古いカクテルで、1938年にギルビージンがフィリピンで売り込みをするために、ポスター広告を出したのだが、そのポスターに書かれていたレシピがチェンバーリンだ。それにはこう書いてある。

チェンバーリンの作り方
・One jigger of Gilbey’s Gin
・Half a lime(drop twisted lime peels into the glass for the flavor of the delicate aromatic oils)
・Fill with soda

このレシピをみると、ジンに半分に切ったライムジュースにライムの皮を軽くねじって皮の香りを出し、それをグラスに入れたあと、ソーダで満たすとある。ソーダはアメリカで透明な炭酸飲料を指すので、当時のソーダが甘かったかどうかだが、1900年代初頭にはすでに甘い炭酸飲料は世界でも広まっていたので、甘かったのだろう。でも当時の甘い炭酸飲料はとても高価なものだったので、このカクテルもバーで飲む高価なカクテルだったと思う。
そんなことを考えていると、当時ホテルで飲まれていたこのカクテルは、洒落好きな紳士や淑女が頼んでいたのだろうと、ふとそんな情景を目に浮かべた。

「Chamberlain, Please」
僕はバーテンダーにそういった。
今のレシピを聞いてみると、彼は忙しい合間に説明してくれた。
「1 jigger Gin, lime juice, and filled with Sprite.」
なるほど、古いレシピとは異なるが、今風の美味しそうなレシピだ。
彼はライムジュースと言ったが、作っている際にフレッシュライムは入れていなかった。使っているのはライムコーディアルだ。
僕は尋ねた。
「Fresh lime juice?」
「No, it’s lime syrup.」
ライムコーディアルはライム風味のシロップで甘い。フレッシュライムでは無いなら、少し甘くなるな、と思いながら、ここのホテルオリジナルのそのカクテルを味わうことにした。
出来上がったカクテルはやはり少し僕には甘かったが、結構美味しい。
女性にも人気がありそうな味だった。
古いレシピとは変わってしまったが、これも歴史の1つなのだろう。
そのチェンバーリンを飲んでいると、横の男性客が席を立った。
目で追っていたが、彼はそのままバーの外に出て行ってしまった。
確かに水だけだから勘定はいらないかも知れないが、やはりどうも不思議な客だった。
気になるが彼はすでに外だ。バーテンダーも特に気にする風でもなく、淡々と仕事をこなしている。

いや、やはり気になる。僕はバーテンダーに聞いてみた。
「Who is the man who sat down here?」
すると、彼からは意外な答えが返ってきた。
説明によると、さっきの男性客はもう、10年以上も前からほとんど毎日この時間にここに来るそうだ。ホテルの近くに住んでいるらしい。そしてちょっとした飲み物を飲むとすぐに帰って行くらしい。
今日は水だけだったが、ビールの時もカクテルの時もあるそうだ。
そんな客がいるんだ。
入って来たときから、不思議な感じだったが、僕自身は狐につままれた感じだった。
おもしろい。
老舗のホテルにはそんな客もいるのだな、と納得した。
それなら話しかけてみても良かったな、とも思った。
でも、またこのホテルのバーに、この時間に来るとその不思議な彼に会えるのだと思うと、またそれも楽しみになる。

バーはそんな空間でもある。
そう思った。

 次はどこのホテルのバーにお邪魔しようか。
 それともどこの旅館のバーにしようか。

*ホテルのカクテルとビール
・セルベッサネグラボトルビール
・チェンバーリン(ホテルオリジナル)[ジン(1ジガー、ライムコーディアル1tsp、グラナデンシロップ1tsp、材料をスプライトで満たし、レモンスライスの飾りを添える]

**文章は全て創作であり、登場人物は実在の人物とは関係ありません。

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