Hotel Story

ホテルバーのひととき

ホテル・旅館バーのひととき[富士屋ホテル](1話)

1.「ソルティドッグ」 バー ヴィクトリア(富士屋ホテル)
Soltydog by Bar Victoria FujiyaHotel

バーのハッピーアワーのせいか、バーは早い時間から数組の客がいた。
カウンターに熟年カップルの2組、少し離れたソファ席に若いカップルが一組だった。
今日のバーテンダーは女性だ。最近は女性のバーテンダーも珍しくなくなってきたが、格式あるホテルのバーでもそれは例外では無い。
繊細な手さばきで、丁寧に客の注文のカクテルを仕上げている。
「お好きな席にどうぞ」
彼女は少し手を休めて、僕の顔をみてそういうと、バーテンダーらしい笑顔でどこにするか目で促した。
「カウンターで」
僕はそういうと残り少ないカウンター席、一番端の席に座った。たくさんあるソファ席にしようかと少し思ったが、若いカップルは暗がりの中、仲良くしていることと、彼女の手さばきを目の前でみてみたいという理由でカウンターの席にした。
カウンター席は僕のスペースで埋まった。

このバーは歴史あるホテルなので、オリジナルも多い。それが楽しみで来るというのも大きな理由の1つだ。
熟年カップルも今来たばかりのようで、注文を終えてようやく上着やバッグを落ち着かせたといった感じだ。
僕はハッピーアワーのメニューをみた。
夕食前だが、まだ少し早い。ちょっとつまみと一緒にカクテルを頼むことにした。
「ソルティドッグとキュウカンバーサンドをください」
女性バーテンダーはにっこりと頷き作業を再開した。
注文を終えると一仕事終えた気持ちで、引き続いてのんびりとメニューを眺めていた。
ソルティドッグは横にここのホテル風という文字があった。これもオリジナルレシピなのだろう。このホテルはオリジナルレシピがとても多いことでも有名だ。
そんなことを頭に巡らせていると、ふとカウンター横をみると、1つ席をおいて隣になった熟年カップルの会話が聞こえてきた。
「ここもとても古いホテルだね。このバーも木がたくさん使われてるしね」
「昔2人で行った、日光のホテルも素敵だった」
もう、子育てもずいぶん前に終わって、2人でのんびり旅行をしている、そんな感じの仲の良いご夫婦のようだった。
僕も少し会話に加わろうとしたのだが、その前にもう一組の熟年カップルの男性がそのおとなりのご夫婦に声をかけた。
「このホテルは私達も好きで、たまに来るんですよ」
「そうでしたか、良く来られるんですね、お近くにお住まいなんですか」
男性は自分達はこの近くでは無いという感じで話した。
「私達は県内ですよ」
「いいですね」
街中のバーではこうした熟年夫婦同士の会話はほとんどみかけないが、こうしたホテルのバーでは結構こうしたシーンに出くわす。
仲の良い熟年夫婦の話は、なんとなく心地の良いBGMのようなものだ。
それからも2組の会話は続いた。
僕は手持ちぶさたになって、しばらくそのBGMを聞いていたが、さっきのカップルのもどうしたものかとソファ席に目をやった。若いカップルはカップルシートで、じゃれあっていた。とはいえ、健康的な元気なカップルという感じで嫌みは無かった。バーテンダーをみると、僕の視線の先をみていたのか、僕の顔をみてまたにっこりと笑った。
可愛いカップルですね、と女性バーテンダーの優しい目がそういっていた。確かにそうだね。僕も目で同意したことを伝えた。

バーは不思議なもので、1人か2人かで飲み方や周りの情景ががらっと変わる。好きな女性と2人の時は、相手に合わせたりうんちくを披露したりなど、忙しいものだ。でも、1人の時はまったく自由に自分のペースで飲むものだ。ときには休憩して、バーの様子をみたり、バーテンダーに話しかけてみたり、レシピを聞いたり、バーが暇なときはオリジナルカクテルを作ってもらったりと、なんでも自由だ。
だからたまには1人飲みもいい。気付かないことに気付かせてくれる、そんな気もする。
今日のようにバーが少し忙しいときは、バーテンダーの作るカクテルをひたすら眺める。
それも楽しい。
そんな勝手なことを考え始めたところで、女性バーテンダーは、カクテルを完成させていた。
「お待たせしました。ソルティドッグです」
コースターをおいて、慣れた手つきで、ソルティドッグの入ったスノースタイルのグラスをおいた。
「キュウカンバーサンドです」
続いて、つまみにしようと思って頼んだきゅうりのサンドウイッチをカウンターテーブルにおいた。
キュウカンバーサンドは思っていたよりも多く、たっぷりと皿に盛りつけられていた。
夕食は軽めにしないといけなくなったな、と思いながら、ロングのカクテルだったのと少し腹が減っていたため、先にサンドを口にした。シンプルだが美味しい。
そして、オリジナルレシピのソルティドッグを一口飲んだ。
すると、いつも飲んでいるソルティドッグとは違う洗練された味に、体がびっくりしていた。
なるほど、だからオリジナルか。
「これは他とは違うんですか」
僕は思わず周りを見ずにそう質問した。
「はい、当バーのオリジナルレシピで、フレッシュグレープフルーツジュースにフレッシュオレンジジュースを少し混ぜています」
説明を聞いていたが、だから美味しいと思いますよ、と言っているようで、それがなぜか嫌みもなく楽しそうだった。
だから美味しいレシピになるんだと思った。ソルティドッグは通常のレシピだとウォッカにグレープフルーツジュースを入れてステアし、スノースタイルに施したタンブラーグラスやオールドファッションドグラスに注いだものだ。でも、そこにほんの少しオレンジジュースを入れたものがここのオリジナル。この甘みがなんとも言えない複雑なおいしさを醸し出している。
この美味しいカクテル、周りが注文しているかと思ったが、どうも周りは注文していないらしい。何より自分自身がバーテンダーのミキシング風景をみていた。
ちょっと得をした気分だ。
そんな思いを1人で感じている時間、意外と長かったのか、おとなりのご夫婦はチェックするらしい。
ロマンスグレーといった感じの男性は横に置いてあったご婦人の上着を持って、軽く腰をかけたまま彼女に羽織った。ご婦人は少し微笑しながら椅子から降り、静かに残りのご夫婦に挨拶をして出た。
ちょうど同じ頃に若いソファ席のカップルもチェックしていたらしく、こちらは仲良く手をつないで明るい廊下に出て行った。
僕もそろそろと思ったが、もう1組のご夫婦も支払いを済ませたいらしく、財布を取り出していた。
ちょっとタイミングを見計らったなと思って、あきらめ、僕はまたメニューを眺めた。
きっと他も美味しいのだろう。でも、喉が渇いていたので、チェックが終わって落ち着いた頃に生ビールをオーダーした。
「にぎやかでしたね」
カウンターは僕ひとりになって、バーテンダーは声を掛けてくれた。
僕はそのにぎやかさも好きだった。
バーで飲む楽しさは人それぞれ、でも、さっきのご夫婦のように、時間も場所も今ここでしかない空間にいたときの出会い、そんな空間がバーにはいつもある。
僕はそんな人たちの会話をBGMにしながら、カクテルを頼んでいる。
そして、いつの間にか、人それぞれの人生にもちょっと触れてみる。
今日は少し胸のあたりがあたたかい。

次はどこのホテルのバーにお邪魔しようか。
それともどこの旅館のバーにしようか。

*ホテルのカクテル
・ソルティードッグ 富士屋風

**文章は全て創作であり、登場人物は実在の人物とは関係ありません。

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